プロフィールとこのサイトについて

ハロー、エブリワン!こちらTOIECスマホアプリ研究所の所長の前原っ

(……数秒間のためがあり)

ジョブズです!

今回はわざわざこの言い回しが大変くどいサイトにお越しいただきまして、本当にありがとうございます。

ここに載っている文章は、導入部分とまとめが大変うっとおしいですが、アプリの情報だけはきちんと調べて掲載しております。

そこでもっと信用が得られるようにと、今回のこの記事ではワタクシ、前原ジョブズが本名と経歴を明かして、どのような理由でサイトを作ったのかを紹介させていただいます。

前原ジョブズこと、前原和裕の自己紹介

本名:前原和裕(マエハラカズヒロ)

年齢:32歳

現在住所:神奈川県横浜市と台湾の台南市で二拠点生活中。

英語との関わり合いと、英語の勉強経歴

12歳 初めてのアメリカ(っぽい)体験

12歳の時に神奈川県のボーイスカウトの集まりで、横浜市瀬谷区にある米軍基地のレクリエーションセンターへ行きました。

これが私にとってのアメリカ体験です。

正確にいうと、米軍基地なので海外ではないかもしれません。

ただ米軍基地だったので、異国のアメリカ人ボーイスカウトの少年と大人たちが英語で話す、まった日本語が全く通じないエリアでありました。

この時に初めて外国人に出会い、英語というものに触れます。

ここで英語に触れたことで、その後に英語の勉強にハマって、私の英語力は中学校で急上昇……、

となればよかったんですが、そうはいきません。

それよりもこの時の思い出は、英語が通じないより米軍基地で真っ青な着色料たっぷりの飲み物を買って飲んだことでした……。

なんと家へ帰る車の中で、急に腹痛が襲ってきたのです!

車を降りると、汚なくて絶対に使いたくないと思っていた公園の公衆トイレに駆け込み、そこで下痢をしてしまいます。

そして、「ああ、これがアメリカなんだ……」と12歳の前原少年(ボーイ)は思ったのでした。

13〜15歳 中学校での英語の勉強

その後、中学校に入ってから、私は大半の日本人と同じように英語の勉強を始めます。

しかし、私は本当に英語の授業が好きでも嫌いでもありませんでした。

黙って英語の時間に座って英語を覚え、中学二年生からは塾にまで通って高校受験に臨みます。

この時に受けた神奈川県の県立高校受験のテストでは、たしか50点満点中に35点をとって、志望高校に入りました。

本当にごく普通の点数ですね。神奈川県の高校英語のテストは比較的簡単だったので、得意な人は40点台をとっていたと記憶しています。

ただ、この後くらいから前原ボーイは急に難しくなった英語に対して、強烈な苦手意識を覚えていくのでした。

18歳 禁断の大学受験

Waseda university

18歳になった私こと前原ボーイは、大学受験を受けます。

目指した第一志望はどうせなら高いところを目指して……という志望を掲げ、無謀にも「早稲田大学」を目指しました。

ご存知の通り、早稲田大学は私立大学の中でもトップクラスに難しい大学です。

国語(現代文、古文)、社会(世界史や日本史など)、英語の三科目で受けるんですが、この中で一番苦手だったのが英語でした。

予備校に通うんですが、どうしても英文法というものがわかりません。

「なぜこんなものを覚えければいけないんだ!日本人は日本語話す時に文法を使っていないだろう!」

しかし毒づいたところで、早稲田が医学の受験から英語の科目を取り除くことまではできません。

そこで一緒に勉強していた友達は私にこう囁いたのでした。

「英単語を丸暗記すれば、英文法なんて覚えなくてもいいらしいぜ」

「なるほどぉ!」

バカ、ここに極まれり、です。

「一体何がなるほるど」なんだ!?

今その時の自分がいたらひっぱたいてやりたのですが、こうして前原ボーイは英文法の勉強をせず、『英単語帳のDUO3.0』を丸暗記するという手段で大学受験に臨みました。

しかーし!結果は誰もが予想した結末!1,600英単語を丸暗記するだけで早稲田大学に受かるのなら、世の受験生が泣きます。

私はセンター試験と大学受験に失敗し、滑り止めの大学に入学したのでした。

センター試験を受けた時の偏差値が49(50が平均だと言われる)だったので、一年間丸暗記に励むのはまるで意味がありません。

当サイトを参照にする方は、「英文法は絶対に大事」だという事実を認識して欲しいです。

ええ、私のようにならないために……。

20〜21歳 大学の短期留学時代

上海留学

滑り止めで入った大学に通うことになった時に、入って数ヶ月で私がやったことが引きこもりでした。

いや、やったというよりも、どうしてもいく気が起きなかったのです。

英単語の丸暗記で受験して落ちた自分が悪かったんですが、今いる自分と理想の自分のギャップに打ちひしがれていました。

しかしなんとか通えるようになった自分を救ったのが、中国への短期留学でした。

せっかくだから全く違う世界を見てみたいと思って志望した海外生活。

そこでコレだと思いました。

全く言葉の違う世界。失敗して当たり前な空気。そして自分のアイディアと行動力で乗り越えた時の感動。

値切り交渉にしても、コミュニケーションをとるにしても、自分のハートが要求されます。

それがうまく通じた時の喜びといったら。

もともと海外に興味は持っていたのですが、この中国で初めて自分は外国に行きたい、言葉を覚えたいと強く思ったのでした。

25歳 ワーキングホリデーを思い立つ

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25歳になった前原シニアボーイは人生に悩んでいました。

ええ、こんなはずじゃなかったのです。私の人生は。

大学を卒業してから、黄色と青の看板が目印のブ○クオフで働き、ひたすら本を削って棚に入れる日々。

朝から晩まで働いて休みが週に1日しか取れず、海外留学しに行きたかったのに、ずいぶん離れた生活をしてしまいました。

そう思って今度は会社を辞めて、有給を安定して取れる公務員試験の勉強を始めたのはいいんですが、これも受かりません。

気づけば職なしのニート。社会の底辺です。

「なんでこんなふうになってしまったんだろう?」

人生のどん底で自分に問いかけました。

「自分は一体何が人生でしたいんだろうか?」と。

すると、答えはすぐに見つかりました。

「海外に行きたい。大学の時の短期留学のように、自分で外国語をしゃべって外国人の友達を作りたい」

そう思ったのです。

25〜28歳 フィリピン英語留学・ワーキングホリデー時代

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それからの行動はすぐでした。

留学するほどのお金はなかったので、最短でいけるオーストラリアへのワーキングホリデーを決め、またフィリピン英語留学に行くために貯金を始めます。

またその間に日本で英文法の勉強を今度はきっちりやり、テキストを三冊3回ずつやりました。

なぜならその時に受けたTOEICの点数が300点だったためです。

もうあんな大学受験の時のようなアホな思いはしたくない。

そう思い、今度は徹底的に基礎を叩きなおしました。

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貯金が貯まった後は、フィリピンのセブ島へ3ヶ月間のフィリピン英語留学し、英語力の基礎をつけます。

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そしてオーストラリアへワーキングホリデーをして、たくさんの友達を作り、外国人と生活することも叶いました。

こうしてめでたく私こと、前原シニアボーイは英語を身につけることをできたのですが、それでも人生は続きます。

なぜならオーストラリアへのワーキングホリデーは、4年前だったからです。

なぜこのサイトを作ったのか?

さて、ようやくなぜサイトを作ったのか?という本題にたどり着きました。

それは、やはり多くの人へ貢献できる形で英語力を残しておきたい、という思いがあったからです。

別に英語の勉強をしなくても、ブロークンイングリッシュさえあれば、なんとか通じます。

しかし、そうはいっても多くの日本人はいまだにTOEICのスコアを気にするし、目に見えるものを信じる傾向にあるのは否定できません。

だからこそ、もともとTOEIC300点台だった私が、ちゃんと初心者にもわかりやすいように、TOEIC対策用のアプリを調べて、自分で勉強することに決めました。

自分も黙ってしゃべらずに日々を過ごしていては、英語力が落ちてしまいます。リスニング、リーディングしかりです。

現代人は忙しいので、なかなか東京の学校に通ったり、ましてやフィリピンの英語学校に数ヶ月通うのは難しいといえます。

そのためにスマートフォンのアプリを選び、今も日々1時間半の勉強を自分に課して、勉強中です。

テイストとしてはふざけた感じですが、芯は英語落ちこぼれでもできるんだ!という視点で頑張って検証して行きますので、よろしくお願いします!